愛さんのブログを9日目まで読んだ衝撃

ありのまま

今日は愛さんのブログを読み進めてみました。

愛さんでも望むものがあるんだなあっていうのが意外でした。

なんだか、愛さんは悟っているように思えたからですね。

それに対して、私は、今どんなレベルなんだろうと思っています。

望むものがないんですね。

嫌なことはありますね。

でも、私にとって必要ならば何でも集まるし、不必要なものは去っていくと思ってしまっています。

私は、選ばれて産まれてきたのだから、その役割を全うするのが楽しいと思っています。

コンプレックスも役割、優れた点も役割。

私は自分で優れた点が分かります。

コンプレックスで潰れそうになって、死にたい過去もありました。

でも、それも役割で、それが私の役目で、全うしてるから生きていて、つまり用済みでなく、また、今が楽しいんだと思っています。

愛さんは、過去と未来と今、両親、宇宙、地球、次元、波動について話されています。

そして、その中で、大事に想い、感謝するものを挙げています。

私は、誰に選ばれたかわからないけど、います。

そして、両親が誰でも関係ないし、未来でも、今でも、過去でも関係ないし、地球でも、宇宙でも、どんな次元も関係ないです。

例えば、私が素粒子として誕生を選ばれれば、その役割を果たします。

例えば、星として選ばれれば、どの役割を果たし、太陽として生まれても、その役割を果たし、ブラックホールとして生まれてもその役割を果たすだけです。

地球なら、空気、動物、植物、人間、水、石とか、地球そのものとか、なんでもいいんですが、そこを選んで誕生させてくれたなら、その役割を果たすだけです。

そして、役割通りに生きていることが、幸せに感じるようにプログラムされてるんじゃないかと思うんです。

ただ、誰が誕生させたのかは不明なんですよね。

ただ、役割に沿って生きていれば、捨てられることなく、必要なものは全て揃えられて、幸せな生活を送れると思っているし、ありのままに今生きていることで、上手くいってるとも感じられています。

自分が役割だと思うと、存在する他の全ての個も役割だと思えてます。

そうすると、怒ったりすることないんですね。

それが、その個の役割と思えるから、責め所がないんです。

自分は選ばれて産まれてきた、誕生を選ばれた、他のものも、みんな誕生することを選ばれた。

あらゆるものはすべて選ばれて存在するのだから、すべてが尊いのです。

そんな貴重なものに囲まれているわけですが、やっぱり誰が誕生を決定してるのかは不明だし、その人がなぜそう決定したのかも不明なんです。

もちろん人っていうのは、仮の言い方で、そもそも存在のないものが決定してるのかも知れないですが。

でも、その人のことを偉くも感じない。

大切なのは、存在のすべては尊いということですね。

感情や気持ちも、存在してますから、尊いです。

そして、ありのままに生きるということは、望むことがないのです。

生きてるだけ、存在してるだけで、意味があり、亡くなったり、消えたりするのは、意味がなくなったからだと感じます。

これも、誰かが、選んでるんだと思います。

そして、ありのままに生きると、我慢したり、頑張るということがいらなくなります。

だから、ありのままに生きたいとか、楽に生きたいとか、未来のために、夢のために頑張るとかいうのは、ちょっと違うと思います。

ありのままに生きているのは楽です。

望まなくたって、必要なものは何でも揃います。

揃わないのは、必要ないからです。

でも、何とかして手に入れようと頑張るかもしれません。

それは、ありのままに生きてないです。

そうすると、こう選択されます。

「こいつ、役割通りにやらねーじゃん、ならいらね。」

病気とか、身体不全とか、死で、役割を下ろされるかも知れませんね。

私も、欲しいものを手に入れようとか、未来を叶えようとか、学校、就職、お金、女性、容姿など、望むことがありました。

沢山ありました。

でも、選ばれて存在してると思ったら、なんだ、望むことないじゃんて思いました。

これは、日本人的考え方かもしれません。

日本人の教育は集団に合わせる事です。

人の役に立ち、役割を肝に銘じて、褒められる人間になりなさい的な。

だから、役割を誰かに与えられて生きてるんだ、って思ったら、スッと腑に落ちたんですよね。

なるほどねと思いました。

私の見た目が悪いのも役割、優れたところも役割。

それは、人の世で役立つために選ばれた姿や能力。

なんだ、だったら、その役割を果たせばいいだけじゃない。

何にも、無理することない。

だって、最初から持ってるから。

カッコつける方がおかしくて、ありのままが正しんじゃない。

そう思うと、なんだか、楽になりました。

そして、私とは別に私がいるというか。

私は、選ばれて、役割を持って、この人の世に生まれ、そして生きていくための名前を与えられました。

でもそれは、人間としての私で、心の中と言いますか、思考だけで姿のない、別の私もいます。

こっちの私が、先ほども言った、両親も、次元も、世界も関係ない私です。

私の誕生を選んだ誰かが、今回はこの次元を選び、時代を選び、姿形を選び、人間として、日本人として誕生させました。

その時に必要だったのが、今の両親ということです。

役割が終わったら、また、別の役割を持って、選ばれれば、どんな姿形や、あるいは目に見えないもの、どんなものかはわかりませんが、その個になります。

その時は、それに必要なものから私は、産まれます。

たまたま、いまこの姿でいる私。

なんだかね、いまこの姿でいる私を大切にしないといけないなあって思います。

いつお別れしちゃうかわからないし、この体で生まれてきた役割を全うさせてあげたい。

だから、ありのままで生きるのが、役割を全うしてることなんだなあと思います。

つまり、役割を果たすということは、無理なく、我慢せず、頑張らず、欲せずです。

ただただ、役割通りに生きればいいと思ってるのです。

役割通りに生きるなんて、退屈だよって思うかもしれませんが、きっと、そのレールに沿って生きるだけで、いまこの姿でいる私も、今同一化している私も、至福を感じるようにプログラムされていると思うのです。

そこから外れるから、苦しんだりしてるのかなあって思います。

なんか都合のいい解釈ですが、あなたが誰かに役割を与えたのに、その人が役割通りに動かなかったら、あなたはどうしますか?

もしお芝居で、役割りが演じられない人は、どうなると思いますか?

別の役を与えられるか、クビか、それとも、なんとしてでも役を覚えてもらうか。

始めから役割が与えられて、その役割に必要なものは全て不足なく集められてくるんですから、その役割に沿えば楽なんです。

楽だし、楽しいんだと思います。

もしかしたら、多くの人が無理をして苦しんでるのかもしれませんね。

そんなことを思ってしまいました。

でも、それも、与えられた役割かも知れませんね。

ただ、それが苦しむ役割だとしたら、きっと至福を感じる事ができると思います。

必要なものも、全て手に入ります。

なぜなら、その役割を選んでから、誕生させたわけですから。

役割を全うしている以上、幸せに生きられるはずです。

そして、楽に、楽しく、苦しめるはずです。

笑いは最強のパワー、そう言ってくれた、愛さんの意見に同感です。

でっかく笑はなくていいんです。

にこってしてるだけで、現実が変わります。

本当だよー。

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